About Me

ハヤシアキコ

三重県津市生まれ。南山大学外国語学部英米科卒。
住んだことのあるまちは故郷のほか、名古屋、東京、サンフランシスコ(留学)。

昭和一桁生まれの、西部劇とステーキが好きな父、ヨーロッパ服飾が好きな母の影響か、自然と海外に目を向けるという環境で育ちました。

いつしか「洋画を字幕なしでみたい」という目標のもと、外国人もあまりいない三重県という土地柄(当時)や生の英語のソースがあまりなかった時代に、なんとか工夫して学校以外の英語に自分でふれようと努力していました。

ステレオはあったので主に海外ドラマや洋画の英語副音声をわけもわからず聞き流したり、辞書の最後のほうのページに載っている英語の発音の仕方の図解を何度も読んで練習したり。そうそうNHKの基礎英語と続基礎英語は毎日かかさず聞いていました。もちろん洋楽好きなのでBest Hit USAのインタビューや、当時夜中にやっていたMTVはとても楽しみにしていました。目標のある努力って楽しいんですよね。

大好きな英語の勉強をするために、名古屋の南山大学へ入学。そこでは英語“の”勉強ではなく、英語“で”勉強するということをたたきこまれました。またキャンパスもいい環境でした。いわゆる帰国子女たちがたくさんいて、田舎者の私はカルチャーショック。彼女たちは英語はもちろんペラペーらだし、ハキハキしゃべるし、ちょっと怖い…。でも仲良くなってみると超いいやつらで、付き合いもラク(笑) 今でも彼女たちの何人かとは仲がいいです。

大学4年生のときにサンフランシスコ大学に学部留学しました。なぜサンフランシスコか?カリフォルニアに留学したい、広告デザインを勉強したい(小さい頃から絵を描くのが好きでした)の2つが揃っていたのがサンフランシスコだったという理由です。今となってはナイスなチョイスだったなと思います。私の人生において、サンフランシスコでの1年間は、英語というだけでなく、グローバル的思考をはぐくむのにかなり重要な位置を占めています。違う場所、例えばアメリカの田舎町に留学していたら違っていたのかなと思います。ちなみに、当時(90年代初頭)からシリコンバレーという言葉は存在していてシリコンバレー付近にもたまに遊びに行っていました。当時はAppleはあったけど、GoogleやFacebookはありませんでしたよ、念のため。

社会人になり、東証1部上場メーカー企業に就職、海外事業本部に配属も1年で退社してしまいました。事務職が合わなかったというか、辛かったんですね。そしてイチからグラフィック・デザイナーの道を目指します。

いくつかのデザイン事務所に勤務したあと、東京でフリーランスのデザイナーとして紙、ウェブデザインの仕事を15年くらいしていました。事務所も設立しました。

SNS(英語では普通social mediaといいますね)が出てくるようになって、特にTwitterは日本人がほとんどいない時期に始めました。もちろんTweetを読むのも書くのも英語。普通の人の考えや意見を生の英語で読んでそれに対してリアルタイムで自分も発信できるなんて! もうハマってしまいました。10年以上英語からは遠ざかっていたのですが、Twitterを始めて一気に英語勘が戻ってきました。海外メディアのアカウントをフォローすることによってリンク先の記事を読んでいたら、英文読解の力や速度もアップしました。Twitterを通じて外国人のリアル友達もでき、そこから何件か英語圏のデザインの仕事も舞い込んでくるようになりました。という経験を書いた本も出してしまいました(笑)

海外からフォローがどんどんくるツイッター英会話術 ~世界中にたくさん友達ができた私の方法~ ハヤシアキコ 著、 デイビット・セイン 著

東京でデザイナーをやってから、東日本大震災をきっかけに2012年に故郷の三重県に戻ってきてからはデザインをしつつ、英会話講師をチョットやったり。今では奈良の東側と三重の西側の地域を海外に主にSNSを通して紹介する仕事をやらせていただいています。

仕事柄毎日SNSを見ています。特に今でもTwitterは好きで、日本では流れていない話題に触れたり、日本のマスコミが流す海外情報とは違う生の英語圏の人の声を聞くのが楽しいです。学校では習わない英語表現や、流行りの英単語も目にすることがあるし、わからないことは自分から英語で質問すると、必ず誰か答えてくれます!

そんな日々のゆるいSNS活動の中で、おもしろいな、へぇそうなんだ!と思った、主に異文化や英語関連の小ネタをここで共有できたらな、と思います。